第22回:濱本真理氏(アスラフィルム)のアニメ「履歴書」

私がアニメーションに出逢った「きっかけ」から、お話しします。

何か絵に関わる仕事につけたらいいな、と子供の頃から思っていましたが、2000年頃に行われていた「沖縄県アニメーター育成事業」というものに参加したことが始まりです。この事業に参加して1年くらい経ったころ、「東京に行ける人は行ってみるといいのでは?」という話になり、沖縄から4人「スタジオ九魔」へお世話になることになりました。

もちろん入社してすぐ稼げるわけもないので、一番初めはキャラ表のクリンナップからのスタートでした。当時、売上げの計算も担当し、経理さんと付け合わせた後、茶封筒に入れた給料を、社長自らスタッフへ手渡していました。今ではもう少なくなってしまったスタイルですが、売上げを計算していたノートは今でも捨てられず、大事にとってあります。

なんだかんだ動画検査まで必死に行い、様々なスタジオの劇場、TV作品を経験することができました。

その後、フラッシュアニメの会社に行ったり、コマ撮りのアニメーションスタジオでお世話になったり、パソコンソフトウェア会社で営業部の販促チームに入ったりと、どの会社の経験も刺激が強かったのですが、今でも良き関係を維持して連絡をとりあっています。

このように20代前半を謳歌した私は、20代後半の結婚をきっかけに数年間、主婦になりました。すぐに子宝にも恵まれ、幼稚園へ送迎する間の移動時間(往復1時間×2)をもったいなく感じ、子どもたちを預けている間、その近場で働けるように、パートを探すことにしました。

そこで沖縄にもスタジオがあったアスラフィルムと出逢うことになります。

当時、人事・経理・営業・制作進行などなど、あらゆる業務を望月(代表取締役)が一手に担っており、面接希望の電話をすると、元気ハツラツに対応され、即日時確定! そのハツラツ&スピード感は今も健在です。

「アニメ会社だ!」と勢い勇んで申し込んだ後に、動画検査・原画までの経験はあれど、肝心の撮影経験がないことに不安を感じつつ、しかしなんだか面接を受けなきゃ気がおさまらない一心でドアを叩きました。

私の撮影業務の知識と言えば、タイムシートに演出さんたちがよく「撮影様よろしくお願いします」と書かれた文字が記憶にあるくらいで、T光(特殊効果)や Follow、ボケ、拡大縮小など、どういうソフトを使い、どのような作業があるのか見当もついていなかったのです(本当によくそれで面接を受けたものだと自分でも呆れます)。

そんな中にあって、私だから(私でも?)できる仕事を望月はどんどん与え続けました。入った当初はダ〇キン代行のように日々掃除をし、半日を掃除に費やし、徐々に集計表を付け始め、TM(タイミング)撮や本撮をし、望月と共に営業や制作現場の打合せについて回るようになり、撮影のことや、作品が企画されてから納品されるまでを経験していくことになります。

アスラフィルムは入社当初は撮影がメインの会社でしたが、今は短編もの(CMやPV、MVなど)、色々な映像のご依頼をいただくことが増えてまいりました。代表が鬼の営業力で他業種の方々と話をまとめ、新企画もバッシバシ生み出してくるので、イレギュラーな案件が多く、現場はそのたびに試練となり、成長していると実感しています。

アニメーター → FLASH → コマ撮り → 営業販促部 → 撮影を経て、様々なジャンルのアニメ業界と、一般企業でのクリエイティブに携われたこと、どの会社にいた時も出逢った方々が底抜けに陽気で、失敗することを無駄に責められることはありませんでした。失敗したその先の話をしてくれる仲間に出逢えたことは私の誇りでもあります。在籍していた当初は気が付かなかったこともありますが、振り返ると、どの会社で経験したことも1つも無駄になっていることがなく、本当に感謝しています。

もし、これからアニメ業界に入ることを考えている方々がこの記事を読んでくださったなら、私から言えることは、
◎とにかくアニメが好きであること。
◎好きな作品を制作している会社さんへアタックを!
◎人付き合いが苦手でも、結局助けてくれるのは人なので、誠意をもって人付き合いを。
の3点です。

色々と暗いニュースもあるアニメ業界ですが、私のまわりには、そんなの屁とも感じずに、熱い気持ちでアニメを作っている人たちがたくさんたくさんいます。これからアニメ業界の門を叩く方々に「色んな生き方があって良い」と少しでも伝わったら幸いです。

アスラフィルム 広報 濱本真理