第15回:宇田鋼之介氏(アニメ監督、演出家)のアニメ「履歴書」《その3》
そんなある日、師匠の佐藤順一さんに出会います。
最初は五十嵐君の一言でした。彼も業界から足を洗おうとしていたのですが、「佐藤さんてスゴイ。この人の元でもう少しやってみたい」と言ってきたのです。
「サトウサン?・・・」
恥ずかしながら、この頃にはもう自分の関わった作品くらいしか観なくなっていたし、同じ社内の人間のこともよく知らなかったのです。
「へえ、そんな人が居るんだ・・・」と思っていた矢先、「悪魔くん」班に配属になり、初号(スタッフ試写のようなもの)で佐藤さんの作品に出会うことになります。
衝撃でした。遠景・近景のバランス、主観・客観の切り替え、テンポの良さは自分の好みというか、理想としていたものに近かったんです。
ココから勝手に弟子を自称し、佐藤さんの手腕を盗むことに必死になりました。「悪魔くん」「もーれつア太郎」「きんぎょ注意報」「美少女戦士セーラームーン」と佐藤さんの元で勉強する日々が続きます。
更に幸運だったのは、この班に幾原邦彦君と五十嵐君、少し遅れて佐々木憲世君がいたことでした。
歳も入社時期も差がなく、ほとんど同期といっていい彼らの存在は、いわゆる「ライバル心」ってヤツに火をつけ、親しくしていながらも切磋琢磨する存在だったのです。丁度、演出に昇格する時期が近かったこともあり、互いの初号で刺激しあっていました。もしかしたらそう思っていたのは自分だけだったかもしれませんけど、マア、そういう哀しいことは考えないようにしましょう。人生ポジティブで。
自分は「きんぎょ注意報」で演出デビューしたんです。色々あって絵コンテからやらせていただきました。またも告白すると、演出を1本できたらもう心置き無く業界を辞められると思っていました。これで悔いは無い、と。
ところが、です。
出来上がった作品は自分のセルフイメージよりも遥かに下だったんです。
なんかこう・・・自分の中ではもっと傑作が出来上がるイメージだったんです。
何という自惚れでしょう。恥ずかしい。タイムリープしてこんな事を思った当時の自分の後ろ頭をハリセンで殴ってやりたい。当該スタッフにも失礼千万ですよね。袋叩きにあっても文句は言えません。
専門学校でズタズタにされていたはずの矜持はいつの間にかムクムクとあられもない姿で復活していたんですね。若さって怖いわあ〜。
でも、その思い上がりが業界に留まらせてくれたのも事実です。
「え、ちょっと待て。ここで辞めたらコレが俺の代表作になるの?」
「ヤダ。もう少しはマシなのが作れるはず」
何の根拠もない、希望のみで構成された自信が次回作へのモチベーションとなりました。
とんでもない人間でしょ?
ただ、誓って言えるのは、その時はその時で自分なりにベストを尽くしていたと思っています。なのですが、ベストの尽くし方が「ヘタクソ」だったんですよね。この部分は経験値を積んで行くしかない、と後ほど気づきました。そして経験値を積むと、次の課題というか壁が見えてきます。この課題、傾向も対策も様々なので人によって答えが違うという特性があり、考え抜いて自分で答えを出すしかないので、とても面倒です。さらに厄介なのは、この壁の厚さがどの位なのかは破ってみなければ分かりません。しかし、突き進み続けるしか道は無いんですね。時には絶望的な気持ちにもなるんですけど・・・。
結局のところ、この「続ける」というのがプロとして最も大事で、最もエネルギーを必要とする核心的な部分である気がしています。才能が有ろうと無かろうと、続けなければ意味がないわけで。
「スラムダンク」の安西先生の「諦めたらそこで試合終了だよ」は実に名言です。
長々と書いてしまいました。この後の現在に至る「第2章」(笑)もあるんですが、「そんな長編読んでいられるか!」とお叱りを受けそうなので、それは又いつかの機会にします。
どうです? 「なんだソリャ?」な、お気楽な話でしたでしょう。冒頭にも書きましたが、「こんなイイ加減なヤツでも」渡って来れたんだから、「一丁、俺(私)もチャレンジしてみよう」なんて思いませんか? 自分は専門学校から行きましたが、別に何の経験が無くても問題ありませんよ。業界に入ってからでも充分学ぶ機会はありますんで。
さあ、アニメーションの世界へ!
宇田鋼之介(アニメ監督、演出家)