第13回:宇田鋼之介氏(アニメ監督、演出家)のアニメ「履歴書」《その1》

「半生記を書いてくれ」と頼まれたのですけど、それはつまり「自分の赤っ恥を晒せ」ということでもあるので、正直なところ一瞬、躊躇しました。個人的なインタビュー等も今まで極力避けてきたこともあって、断る選択肢が喉まで出かかっていました。
が、「こんなイイ加減なヤツでも業界で生きてこれた事実」を知ってもらえたら、この道に進むことを躊躇しているワカモノに、すでに業界に入っているけど色々と悩んでるワカモノに、わずかでも希望を与えられるのではないかなどと、大きなお世話な強い先輩風を伴った「上から目線」が灰色の脳みそを一瞬で支配してしまったので、次の瞬間「やりますよ」と返事をしていました。
書くと言ってしまった以上、書かざるを得ないのですが、ホント、くだらないので途中で読むのをやめていただいても一向に構いません。そんな半生ですが、その中に少しでもヒントめいたものが貴方の心に引っかかっていただけたら幸いだと思っています。

高校を卒業する寸前まで、自分がアニメの道に進むなんて夢にも思っていませんでした。
本当は史学を学びたかったのです。電気を学ぶつもりで工業高校に進学したくせに、歴史への興味が膨らみすぎて途中で夢を路線変更したのです。しかし、工業高校から大学の文学部を一般受験するのは並大抵ではなく、当然のように全滅してしまいます。
もう1年浪人するほどの覚悟も気力も、さりとて社会人としての第一歩を踏み出す根性も無く、さてどうしたもんかと一応思案してみるものの、ただ呆然とした毎日を送っていました。そうしているうちに絵に関わることをしてみたいと漠然と思い始めました。
子供の頃から絵を描くのは好きだったし、漫画も人より読んでいたと思います。ストーリーの創作も好きでした。でもそんなのは趣味とも言えないレベルですから本来なら選択肢の外でした。そんなある日、テレビを観ていて不意にアニメの世界に行こうと思ったのです。なんでそう思ったのかはもう思い出せませんが、イラストレーターとか漫画家よりも何となく敷居が低そうに感じたんだと思います。ナメてますね。
さらに告白してしまうと、別に本気でプロになろうと思ってたわけではありません。只々、社会人になるまでの「執行猶予」が欲しかっただけなのが本音です。で、アニメ関係の仕事と言っても、どういった事をすればいいのかなんて知識は当然ありませんから、専門学校への進学を考えついたのです。地元から出てみたいという願望もあったから、「これで一石二鳥じゃん!」・・・若気の行ったり来たりなんてモンじゃありませんね。幸い(?)学資保険の残りがありましたので、まだ入学できる学校を探し出し、口八丁手八丁で親を説得し、何とか東京の専門学校に進むこととなりました。

先ほども述べたように、絵を描くことに多少は自信がありました。しかし、そんななけなしの唯一の根拠は入学してあっという間に砕け散ることとなります。そりゃあ、専門学校に進むほどのアニメ好きが全国から集まってきてるんですから当たり前の話ですよね。絵の上手い奴、動かすのがとにかく好きな奴。皆、知識もハンパない。もう瞬殺です。その時のコンプレックスは今もまだ引きずっています。でも見事に矜持を袈裟斬りにされたお陰で開き直ることが出来、素直に学ぶことが出来たから、今思えばこの事はむしろ良かったのでしょうね。
そうして学び始めると実践したくなるのが人の欲。仲間を集めて「自主制作を作ろうぜ」となりました。そして「お前が言い出しっぺなのだから、お前が監督をやれ」ということになり、人生初の絵コンテ作業とあいなったのです。とはいえ、絵コンテの書き方なんて微塵も知らないから、その勉強から必要なのですが、教科書なんてものはありません。急ぎ紀伊國屋書店に駆け込んで、とりあえず買ってきた『風の谷のナウシカ ― 絵コンテ』がバイブルとなった訳です。ありがたいことに、この本、巻末に絵コンテ用語とカメラワークについての解説が載っていたのでとても助かりました。そしてもう1冊、仲間が持っていた『カリオストロの城 ― 絵コンテ』。これらを傍らに置いて脂汗をかきながら絵コンテ用紙とにらめっこを開始したのです。
ナンノカンノありましたが、4ヶ月ほどで拙いながらも作品は完成しました。あのフィルム、今はどこにあるんだろう? 実は次の年にももう1本作ったのですが、そちらはきちんと完成できなかったのが今でも心残りです。
その当時はこの作品の出来にある程度の満足感を感じていたのですが、「もっとクオリティ高く作ることが出来るんじゃないか?」とも思っていました。と同時に「演出」という仕事に興味が出てきて、「プロの現場」に本気で興味を持ち始めました。どのくらい通用するかは正直わからないのですが、とりあえずチャレンジしてみよう、と。
その意味ではこの自主制作は自分にとって大きな転機になったと思います。

次回は、東映動画(現、東映アニメーション)で働くことになった経緯と、東映動画での仕事についてお話しします。

宇田鋼之介(アニメ監督、演出家)